仕事で上司へのほうれんそう(報告連絡相談)について考えさせられた件

仕事ほうれんそうできない

ちょっと会社で今日考えさせられることがありまして。

社会人になると最初に教わると言っても過言ではないビジネス用語として「ほうれんそう」ってのがある。

君も聞いたことあると思うけど「報告」「連絡」「相談」の頭文字をつなげて「ほうれんそう」。

まあ、仕事の中で何かあったらすぐに相談や連絡、気になることがあれば相談せよ、ってことだ。

社会人なら出来て当然というべき基本的なこととされている。

なぜほうれんそうが必要なのか

上司や先輩、仕事上の管理者の立場からすると、指示した相手が現在どんな作業をしていてどんな状況なのかを把握する必要がある。

何かあったときには上司や管理者が判断する必要があるからだ。

したがって何かミスをしたときや、問題が発生した時、自分ひとりで隠したり自分一人で対処しようとせずには速やかに上司に報告すべし。というわけだ。

大抵の場合、隠したり無理やり対処しようとすると事態は悪化する。

まあこのあたりはいまさら言うまでもない話だと思う。

上司へのほうれんそうが行われなかった事例

で、現場で必ずしもこれが100%絶対といえるのか?という疑問が最近わき始めてきた。

先日、実に興味深い事例があった。(システムエンジニアの話です)

ある中堅社員とその管理者との話だ。

管理者はその中堅社員に、とあるシステムの保守をほぼ任せていた。

中堅社員は経験年数も長く、そのシステムのことは誰よりも熟知していた。

日常的にはほぼ問題なく運用できており、これといった問題が発生することもないので特段何かが無い限り、その中堅社員は管理者に対し定時報告などは行っていないようだった。

しかし、ある日(っつーか昨日)そのシステムでトラブルが発生した。

そのシステムを使っているユーザーは多く、システムトラブルによる影響は大きい。

中堅社員はすぐさまシステムトラブルによるユーザ影響を最小限に抑えるべく行動した。

曰く、以下の優先順位に従って行動したらしい。

1.ユーザへの通知

2.影響範囲の特定

3.システムトラブルによるユーザデータ破損の復旧

これらの作業はほぼ平行して行われ、幸いデータ破損の影響も少なく原因特定、復旧もすぐに行うことが出来た。

実際に全て直るまでに2,3時間といった所であった。

ある程度応急処置が終わった段階で、中堅社員は管理者へと中間報告を行った。

しかし、この報告を聞いた管理者は激怒した。

「なぜ事象発生時にすぐ報告しないのだ!!」

ほうれんそうをしない側の言い分

さて、なぜこのような事態になったのか。

中堅社員の言い分としては、ユーザー影響を第一に考えて行動した結果、報告が遅れてしまった。とのことだった。

しかし、管理者側としては勝手に復旧を行う前に報告するのが当然であり、新人じゃあるまいし中堅社員がなぜそんな勝手な行動をとったのかが理解できない。というわけだ。

たしかに冒頭に言ったように一般的な社会人の常識としてほうれんそうがあるのだから、まず管理者に報告すべきという理屈はわかる。

ただ、僕としては中堅社員の意見も理解できる気がする。。

中堅社員側の肩を持つ気はないが、件のシステムを最も理解しているのは中堅社員にほかならない。

そもそも管理者は内部の細かい動きなど知らないし、システムトラブル及びデータ破損の影響度なども判断はできない。

結局のところ、管理者にできるのは現状を把握するだけであり、判断及び対処は結局中堅社員に任せるしか無いのが事実だと思う。

つまり、この場合はっきり言って中堅社員は『この管理者には報告したところでさほど価値(意味)がない』と判断したということになる。

管理者が中堅社員以上にこのシステムの内容や影響範囲を把握してなければ、報告したところで余計なタイムロスが発生するだけにすぎない。

この話は、新人や部下の普段の仕事に置き換えても同じことで、新人や部下が先輩、上司に対して『報告する意味』『連絡する価値』『相談するメリット』がなければ、ほうれんそうなどなりたたないのだ。

そりゃそうだ、報告する側からすれば手間が増えるだけで何もプラスに働く要素がないわけだから。

つまりほうれんそうを求める場合、それを受ける側は、その情報をより高度かつ有効に扱えないのであれば、その行為は無駄になる。

単に状況を把握したい、というだけならばなんの意味もないのだ。

ほうれんそうが有効活用されるには

ではどうすればほうれんそうが有効に回るのか。

まず、今回の場合、管理者は中堅社員と同等以上にそのシステムの概要や影響といった外的な部分を抑えておく必要がある。

その上で、更に広い範囲での影響を判断出来なければならない。

完全に中堅社員にシステムの保守をおまかせしている時点で、すでに管理者としての役割を放棄していると言える。

それならばいっそ判断も含めた権限ごとおまかせするべきだったと思う。その上で責任は取る、というスタンスだ。

そこまで任せれば、本人もより責任感を持って行動するはずだ。

上司と部下のあるべき関係性

つぎに上司と部下の関係の場合を考えてみよう。

部下がほうれんそうしてこないという場合、それはもしかしたら前述のとおり部下にとって『ほうれんそうするメリットや意味がない』と判断されているのかもしれない。

例えばミスが起こった時、そのミスを隠すよりも上司に報告したほうが良かった。と部下から思われているかどうかという話だ。

ミスを報告してもただ怒られるだけで、結局は上司が更に上の上司に謝るというだけならば部下からすれば怒られ損である。

この場合、極論上司は部下を叱ってはならない。

人間はミスをするものだから、ミスは起こる前提で考えなければならない。

その上でなぜミスが発生するのかそれを防止する手段を探る為の糧にすべきなのだ。

そうすることで『ミスの報告』は単にミスをしたという事実以上の価値を持つ。

もちろんソレが出来ておらず、成長につながっていないならばその点については【ミスそのものとは切り離して】ちゃんと叱るべきだ。

『報告を受ける側』に求められるもの

先程も言ったように報告を受ける側はその内容をより有意義に使えなければならない。

連絡や相談も同じことで、連絡した情報をより高度な判断に使用する、相談に対し価値のある回答を返す。こういったことが上司には求められる。

より経験や年齢を積んでいる方がその判断材料も多く、それ故、年齢は重要なファクターだが、それだけでは上司の役割は果たせない。

部下に丸投げしてろくに管理できていない上司や、判断能力に欠ける上司がいるのも事実だ。

先生と生徒、あるいは親と子の関係性にも言える

さらに言えば、これは部下と上司という関係にとどまらない。

先生と生徒、親と子、プロとそれに師事する素人という場合でも同じことが言えるかもしれない。

教えるべき立場、指導すべき立場の人間は、教えられる、指導される側よりも常に高度な知識と判断力が求められることになる。

改めて考えると、人の上に立って指導するということつくづく難しいことだと思う。

親なんかもそうだが、いきなり指導すべき立場として完璧になどなれるわけがない。

実際には指導出来るレベルに無いにも関わらず、指導者としての立場にいる人間は非常に多いのではないか。

よく言われるように、教えることで指導者としても成長できる。

即ち教えられているのはお互い様、位の気持ちでいるべきなのかもしれない。

まとめ

もしかしたら『実はこの中堅社員というのは僕なのです』というオチを期待したかもしれないが残念ながら違います。

僕も年齢上、部下や後輩を管理、指導する立場にシフトしているが、改めて部下目線で考えると色々と見えてくるものもあり、目からウロコだった。

僕自身、常に部下や後輩よりも正しい判断が出来ているか、と問われると怪しいところがある。

というか多分間違っていることも沢山あるだろう。

人の上に立つべき立場の人間は「ほうれんそうで受けた情報はより有効活用できなければならない」「教えられているのはお互い様」を改めて胸に刻む必要があると感じた一件だった。

また、部下の立場の人は本当に上司がほうれんそうを役立ててくれているのか、という点を意識する必要がある。

もしそうでないのならば、その人はあまり良い上司ではないのかもしれない。そういった場合は自身の成長のためにも思い切って職場を変えることを検討してもいいのではないだろうか。

『仕事先や上司との飲み会が苦痛。そんな人は会社辞めてさっさと転職すべき』もどうぞ。

PS.

そういう意味では学校の教師って実は超上級職なんじゃないだろうか。

教科だけでなく、大人としての行動や振る舞いについても指導出来なければならない。

が、学生時代を振り返っても首を傾げるような行動や言動の教師がいたことは事実だ。

・・・教師って、本来弁護士とか会計士なみに高難度の職業にすべきじゃないの・・・?

おしまい