『嫌い』『つまらない』運動嫌いを生み出す部活動とかいうシステムの問題点
中学校位から大抵の生徒が所属する部活という青春の象徴とも言えるシステム。
今でもあると思うけどあのふざけたシステムは無くならないものだろうか。
特に運動部。
運動神経がいい人の場合は問題ない。しかし、運動が苦手だが運動部に所属し、結果部活が嫌いになった人もいると思う。
そんな人の気持を代弁すべく、運動音痴市民の一人として僕が部活のシステムの問題点をぶった切る!!
・運動部の問題点
運動部に所属した場合、大抵はなんかの大会に出て優勝すること、そこが最終目標になるのだろう。
それはそれでいいのだが問題は、個人ごとに成長度にばらつきがあることだ。
なんのこっちゃ?と思うかもしれないので説明する。
1.スポーツが上達していく為のステップ
そもそもスポーツが上達していくにはステップがある。
①スポーツを始める
②ルールを理解する
③練習する
④出来るようになる
⑤出来ることに満足する
⑥やがて出来ることを人に見せたくなる/または競いたくなる
⑦誰かに勝つまたは人前で成功するという体験をし快感を得る
⑧もっとその快感を得たいと思う
⑨もっと勝ちたいうまくなりたいと思う
⑩さらに練習する
大体こんな感じの流れでうまくなっていく。
スポーツでも勉強でもなんでもそうだが、何かのハードルを超えた時に人は脳内で快感物質が生み出される。
わからなかった問題が理解できた時。
できなかった技術ができるようなった時。
超えられなかった記録を塗り替えられた時。
するともう一度その快感物質を得たい、と思いさらに練習を積み重ねることが出来る。
ましてやそれにより他人と競い、勝った場合その脳内物質はより大量に生み出される。
そうして自分や他人との戦いに勝つために日々トレーニングに励むことが出来るわけだ。
逆に言えば何かできないことが出来るようにならなければそれまでは楽しくないし、いつも負けてばかりならば勝つ快感を知ることはない。
なにかの大会に向けて一丸となって練習を重ねるためには、上記の⑨までのステップをクリアし、自ら勝ちたい!そのためにもっと練習して勝ちたい!と思える段階に到達していなければならない。
2.運動が苦手な部活嫌いになっていく流れ
上記の流れは基本的にどんな人にでも当てはまる。
たとえ運動が超苦手という人でも練習すればやがて出来るようになるし、出来るようになれば楽しさも感じる。
そして誰かと競い、勝つという経験を踏めば、引っ込み思案で全く自分を出さないいつも控えめで自己主張しない、そんな人だって他人に勝ちたいと思えるようになるはずなのだ。
当然だが、これらステップを踏んでいくスピード、即ち成長速度は個人差がある。
学校の部活の場合、特定の時期に行われるいくつかの大会にターゲットをあわせているから、そこに向けて実力がある人間がレギュラーを獲得することになる。
つまり、特定の時期までに結果を出せる人間がレギュラーの座を射止めることになる。
センスがある人、運動神経がいい人はすぐに頭角を現し、出来る楽しさも勝つ快感も早い段階で得られるだろう。
その結果ますます練習し上達していく。練習すればうまくなりレギュラーになれれば、より部活動の中でも優先的に練習時間を割り当てられ、試合に出る機会も増える。
すると出来る楽しさ、勝つ快感を得られる機会も増える。そしてまたそれを糧に練習に打ち込むという具合に、加速度的に成長していける。
では、成長速度が遅く結果を出せなかった人はどうなるか?
出来ないから出来たときの楽しさがわからない。そうなれば練習にも身が入らない。結果試合にも出れないし練習時間中も球拾いなどの雑用をやらされる羽目になる。
当然勝つことで得られる快感など知る由もないだろう。
ますますデキる人できない人の差はひらいていくばかりである。
やがて、部活自体がつまらなく感じ、練習にもやる気がでず、やがてやめてしまう。
3.部活嫌いを作らないためにはどうすればいいのか
上記のパターンはあくまでも例であり、中には全く試合にも出れない、いつも球拾いばかり、それでも楽しいと思って卒業まで続けられる人だってたくさんいる。
また、逆にレギュラーとして活躍する機会があってもやがて実力が伸び悩み、挫折してやめていってしまうパターンもまたあるだろう。
しかし、そもそも上手い人はよく上手く、下手な人はより下手になりやすい環境であることが、この場合問題である。
仮に部活にやる気がなくなってしまった人がいた場合、どのようにすればよいか。
場合によってはそれでも部活参加を強制させられたり、周りからやる気が無いことを咎めれたりもする。
これはまったくもって逆効果だ。
スポーツの上達速度はなによりも本人の意志による影響が非常に大きく、嫌々練習してもまず上達しない。
限界を超えるような挑戦をしなければハードルを超えられないのに、やる気がない場合手を抜いてしまうからだ。
手を抜いた練習など完全に時間の無駄である。
まずは個人個人の成長速度に合わせたフォローを行っていくことが重要である。
出来ない人にはできるようになるまで、じっくりと教えていけばいい。
その結果ハードルを超えられれば、そのスポーツの楽しさが理解できる。
理解できたら次は出来ることを発揮して誰かと競い、勝つという経験を積ませることだ。
この時、相手のレベルが高すぎては挫折を味わわせるだけなので、勝てるギリギリの相手と勝負させる必要がある。
そうすればその人の中にはっきりと『勝ちたい!』という欲がでてくるだろう。
優勝目指して練習しよう!とか目指せ全国制覇!とか言うのは、まずこの段階になってからの話なのである。
全員がこの段階に到達する前に、さっさと一部のできる人だけにスポットを当てて十把一絡げで部活を行うから脱落者がでるのだ。
よくスポーツ漫画とかで熱血系の主人公がやる気のない部活に入っていきなり全国制覇を目指すぞ!とかいって「はあ?そんなの無理無理」とか「俺達は楽しくやりたかっただけなんだよ!」とか言われるのはこの成長段階がバラバラなのにいきなり「勝つための練習」というステージに引きずり込むからなのではないか。
自分は勝つ快感、出来ることの楽しさを知っているからいいが、それを知らない人もいる。
やる気が無いなら出て行け!とか勝つために練習するんだろ!とか言うならば、まずそういう気を起こす段階までチームメイトをしっかり引き上げてからじゃないとただの独りよがりになってしまう。
例えばMAJORの吾郎なんかはこの辺を相当すっ飛ばしている。
小中高の時期を見ると、ある意味自分が勝ちたい為だけに他人を利用しているとさえ言える。(特に聖秀学院高校編)
まとめ 本来は誰もがスポーツを楽しめるべき
出来ないことができるようになる楽しさ、誰かと競い合い勝つことの嬉しさ、こういったものはどんな人だって感じる権利がある。
学校という教育の場であれば、全生徒がもれなくそういった楽しさや嬉しさを得るべきなのだ。
それこそが部活動の本来の目的である「部活動を通して心身とも成長しスポーツの楽しさや喜びを味わい、学校生活に豊かさをもたらす」ことに繋がるはずだ。
競争を勝ち抜くことによって成長する、という面は確かにあるが全員がその競争に全力で取り組もうというスタートラインに立っていなければ公平ではない。
子供の頃運動が苦手、部活が嫌いという人でも大人になれば自主的にスポーツサークルに入ったり、わざわざお金を払ってまでもジムに通って熱心にトレーニングをしたり、マラソンが趣味になったりする。
これは大人になって自分のペースでスポーツの楽しさを理解できる段階を踏んでいけたからだ。
そういう人は大抵今この状態で学生時代に戻ったら、部活動を楽しめるだろう。出来ることの楽しさを知っているからだ。
所詮一般の公立の中学や高校の部活の顧問などは、いわばそのスポーツに関しては素人の先生が担当しているに過ぎない。
その為、多くの場合ここまで考えて部活動を行っていないだろうし、人数的時間的な制約から一人ひとりの成長に合わせたトレーニングをおこなっていくことは、現実にはなかなか難しいのだろう。
しかし、せっかく中学高校という重要な時期、部活動という貴重な場でスポーツの楽しさを理解するどころか嫌いになってしまう生徒が出るとはとてももったいないことだと思う。
もしかしたら成長速度が遅いが、しかし晩成型で将来世界で活躍できるだけの才能を持つ人材が、部活嫌いになって埋もれていってしまっているのかもしれない。
今の部活動のシステムではそういった才能を潰しかねない。
スラムダンクやキャプテン翼にあこがれてせっかくバスケ部やサッカー部に入部したのにつまらなくてやめてしまった少年たち。そんな事例が今後少しでも減ることを祈る。
おしまい