学校の授業に『コミュニケーション』と『経済活動』を入れるべき
社会人になってから、学校で学ばなかったことって本当に多いと気付く。
この年になると若いころにもっと勉強しておけばよかったなー、ってよく思うんです。
もし今小学生に戻れれば、もう勉強しまくっちゃう!!
でもね、それって社会に出て色々経験してきたからそう思うわけで、気が付いた時にはもう学生時代は終わってるわけです。
社会人になると勉強の時間すら捻出するのが難しい。
学生なら時間はたくさんあるし、勉強するだけでほめられちゃうからね。
失ってから初めて気づく。人生ってそんなもんさ・・・。
そんな悩める若者たちに今後の学校の在り方を考えてみた。
現状の授業内容を改めて考えてみる
文部省のサイトによると小学校までに習う基本的な教科は国語、算数、理科、社会、家庭、生活、音楽、体育、図工の9科目らしい。
てか生活?生活ってなんだよ??
まあ、いいや。
どれもこれも基本となる事柄として小学生の内に学んでおくことは必要だろう。
これが中学校になると算数→数学になったり社会が歴史と地理に分かれてたりしていく。
この辺りから内容がだんだんマニアックになっていく。
果たして科学や歴史、地理なんて必須科目と言えるのか?
僕はそんなものより大事なものがあると言いたい。
それは『経済活動』と『コミュニケーション』だ!
これらを中学校からの授業科目に加えるべきだと思う。
なぜ『経済活動』の授業が必要なのか
子供の頃にはお金持ちになる。ということがイメージできない。
豪華な家、車、宝石、時計・・・、小中学生の頃からこんなものに夢を抱く奴は少ないだろう。
せいぜいちょっとゲームが欲しい、ちょっとおしゃれな服がほしい、スマホが欲しい、位のものだろう。
そんなものはちょっと高校生になってからバイトすれば手に入ってしまう。
ましてや社会人になれば、毎月バイト以上のお金が手に入る。それで充分欲しいものは満たせると考えてしまう。
将来裕福になる為に勉強する、なんてことではモチベーションがわかないのは当然なのだ。
報酬以外の面で魅力を感じる職業があり、その為に勉強ができるのならばよい。
しかし、多くの子供は将来に対し絶対的な目標とそれに向かう為の具体的な手段をしらない。
プロ野球選手になるために野球部を頑張る!とかいう話ではない。
具体的にプロになるためには甲子園でどの程度の成績を残せばよいのか、その為にはどのレベルの身体能力とテクニックが必要なのか
それを満たすためにはどの程度の練習量が必要なのか、それはいつから始めればよいのか誰に教えてもらえばよいのか。
具体的なタスクに落としこんでやるということだ。
イメージが明確なプロ野球選手ですらこれなのだから、一般の会社員におけるイメージはもっと難しい。
一体どこの中学生が一部上場企業の役員になるための具体的なタスクを知っているというのか。
漠然と抱いている将来像とそれにまつわる収入。そしてそれによる生活。こういったことを中学生の頃に知るべきなのだ。
具体的な『経済活動』の授業内容
では実際に経済活動の授業内容を説明しよう。
まず、世の中のお金の成り立ちと仕組み、世界の数%の人間が世界の大部分の富を占有している事実。
経営者と労働者の搾取の関係と生涯賃金の差。こういったお金の表と裏の顔を徹底的に見せつける。
池上彰出演の説明ビデオを見せるのもいい。ホリエモンや孫さんに分かりやすく話してもらうのもいいだろう。
具体的に数十万、数百万、数千万というお金があれば何ができるのか。そして一般層では何ができないのか。
高級住宅と安アパートの差、飛行機やホテル、レストランにおける扱いの違い、高級車と軽自動車の乗り心地の違い。
これによってお金というものによって何が得られるのかを理解する。
次に具体的な収入までの道筋だ。1万円稼ぐにはどんな手段があるのか?
バイト、一般社員、一般企業の部課長、外資系の役員、これらの時給を実際に比較したらどうなるか?
バイトが1日10時間働いて得る賃金を外資系の役員は数分で得ることだって可能という事実。
ここまでくればもうすっかりお金の魅力に取りつかれること必至だ。
そうなったら最終段階。年収500万円と年収2000万円のモデルケースをもとに生活格差の違いとそこに至るまでの
具体的なタスクを10代、20代、30代、40代と分けて見せていく。
これで子供たちは目指すべき将来像とそこに至るまでのルートがはっきり見えてくるようになる。
そうすれば本当の意味での『将来に向けた勉強』を自主的に行うはずだ。
なぜ『コミュニケーション』の授業が必要なのか
さて、もう一つはその名の通り、コミュニケーションに関する授業だ。
コミュニケーション能力なんて言葉があるように、その良し悪しは社会で生きていくうえで非常に重要度が高い。
これは人間社会で生きていくうえで必須なスキルと言える。
にもかかわらず、世の中には『陰キャラ』『コミュ障』『こじらせ男子/女子』なんていうコミュニケーション能力に難ありの人間が量産されている。
それはなぜか!?思春期の大切な時期にコミュニケーション能力を延ばすことを個人個人に任せているからだ。
もしこの日本でも基本的な読み書きだって個人に任せていれば、社会に出てからまともに文字も読めない、書けないという人間が出てくるはずだ。
それと同じことだ。なぜコミュニケーションを授業の一環にしないのか。
普段から家族と接する中で覚えていく?学校で友人と触れ合う中で覚えていく?先生や地域住民との関わりで覚えていく?
何甘っちょろいこと言ってんのよ!!!
そんなことやってるから引きこもりとか増えちゃうんでしょーが!
そりゃ誰もが家族や友人、他人と接する中でコミュニケーション能力が自然と身についていけばいいさ!
それができない奴らが現実にはいるでしょ!!
そんなこと言ったら国語なんて本を読め、会話しろ。体育なんて普段から街や山を駆け抜けろ。で終わる話だわ!!!
ハアハア・・・。
『コミュニケーション授業』の内容
さて、もう一度落ち着いて僕が考えるコミュニケーションの授業内容を紹介しよう。
まず、同世代の友人と関わりを持つ授業だ。
これは普段関わりの薄いクラスメイト同士を組ませる。
あえて関わりが薄い人間同士が互いに内面を知っていくという過程を通して色々なタイプの人とコミュニケーションをとる力を養う。
自主性に任せていれば自然と気が合う友人同士で固まってしまうし、必要がなければあえて友人を増やそうとも思わない。
だから人によってばらつきがでてしまう。
次は異性だ。これは思春期の中学生の頃にあえて男女で組ませる。
最初は恥ずかしがってまともに目も見れない、会話にならない生徒が多いだろう。
しかしこんなものは慣れだ。この頃にしっかり異性をコミュニケーションがとれるようになれば今頃2chのもてない男板なんて存在していないはずだ。
やらないからできない(と思い込む)のだ。恥ずかしがって女子と話せない男子はその後、高校生になっても話せない。
そして大学に行っても、社会人に行っても勇気がでないまま、めでたく30歳でマジカルバナナだ。
だが、中学生の頃に授業を通してだれもが異性と気軽にコミュニケーションをとれるようになっていれば、ほとんどの場合ハタチまでに彼氏彼女ができるだろう。
いや、むしろ高校までのほとんどが付き合っているのかもしれない。
同世代で様々なタイプとコミュニケーションを難なく交わすことができるようになったら今度は様々な世代と交流を持つ。
中学生の頃から幼児から老人までくまなく接することができれば社会にでてから何も恐れるものはないだろう。
まとめ
なんかキモイ長文だったがご覧いただけただろうか。
もし中学生の頃から『経済活動』『コミュニケーション』に関する授業を受ければ現代の世の中の問題となっている
『若者の恋愛離れ』『引きこもり』『いじめ』『ワーキングプア』『経済格差』といった様々なことを解決できるかもしれない。
今はこういった経済や人との交流に若いうちから積極的に向き合う人が増えている。一方で出来ない人はとことんできない。
いわば2極化がより顕著になってきている。
勉強してこなかった、積極的にコミュニケーションをとってこなかった。
それは親の責任、あるいは自己責任といってしまえばそれまでだが、多くの人間はそのことについて後悔している。
漢字の読み書きや分数の計算ができることと同じくらい(いやもしかしたらそれ以上に)重要なことなのだからちゃんと学校が責任をもって教えてあげるべきだと思う。
ていうか僕も子供の頃にこんな授業を受けたかったんだよおおおおお!!!
おしまい